早朝に目が自然に覚め、仏壇と神棚への挨拶、そして身支度を済ませそのまま事務所へ直行し、お掃除と言うのが私の朝の日課ですが、、、
爽やかな朝の目覚めは本当に気持ちよくて、この日課と言うか、貴重な一日のスタートを気分よく切れるので、本当に毎日快眠できることにありがたく思ってます。
さて、今日はお釈迦様のお誕生日ですね。
これに相伴させていただくようですが、我が家の長女のお誕生日でもあります。
私は、両親からお誕生日と言うのは親に感謝する日なんだと、子供の頃から躾けられていたので、私の子供の頃、自分の誕生日は正直なところ少し嫌な気分もありました。
勿論、両親への感謝をするのですが、なんだか強制されて感謝するのは凄く不自然で、もっと自発性を重んじて欲しい気がしていました。
しかし、両親が亡くなってからと言うものはそれも楽しい思い出です。
今は娘に強制することも無く、自然体でやってます。
そこで、今日はなんだか全ての事に感謝する気持ちを尊重して過ごしたいと思ってます。
何かの対象に限って、心から感謝するという事も必要な時もありますが、感謝をする、と言って大上段に構えるよりも、何かにつけて感謝できるその.ゆとりある感情の方が大切と思います。
実際に、豊かな気持ちでないと何かにつけ感謝しようと思えません。
でも、何気なく『ありがとう』と言える心のゆとりと言うか、感情の豊かさが、素晴らしい働きをしてくれます。
それは色々な事に対しても、気持ちを切り替えてくれるスピードが違うのです。
不足や、不平、不安を感じている時には、小さな事に喜びを感じれませんし、こころの状態が豊かな感情にある時に比べて、これからしなければならないことに対する、やる気の大きさが違います。
更に集中力も格段の差があります。
何かの対象に対して、必要以上に感謝の表現を改めてするというと、幼少の頃の私ではありませんが、余分な感情も出てきます。
単純に感謝するものを探し、ありがたいと思うことで、気持ちの切り替えがずい分早くできるのです。
そして、例え嫌なことでも、角度を変えると感謝できることってずい分あります。
昨日も、
『40肩が治らないし、視力もずい分落ちたな~』
とふと思ったのですが、この視力が無かったら本当に不便だし、肩の痛みはあっても字も書けるし、物も持てる。もし、ご不自由な方からすると、贅沢な話しに聞こえるだろうと思うとそれだけでも、ありがたく思えます。
感謝する対象は別としても、一日を振り返って瞑想する時に、
『今日もずい分感謝すべきことが有ったなあ』と思って、振り返るとそれはそれは、どんどんありがたかった感情が出てきます。
逆に、旨く行かなかった事や、不快な気分のものを探しても、これまたきり無く溢れ出します。
どうせ、溢れる感情なら豊かな気持ちで、前向きにしてくれる感情で意識を充満させた方がずい分と晴れやな気分になれます。
その結果、凄い快眠を得られます。
快眠は素晴らしい目覚めを与えてくれます。
素敵な気分で目覚めて、気持ちよくスタートを切るだけで一日の成果は大きなものを収穫出来ます。
今日は、お釈迦様の誕生日、ついでにわが家の我が儘な姫君・・・

『高校生活を謳歌し、ちょっと生意気な娘』のお誕生日を拝借し、小生も感謝の気持ちで一日を過ごしたいと思います。
心でつぶやく『ありがとう』・・・・・
瞑想時にどのくらい数えることが出来るでしょうか?
楽しみです。